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Overseas 海外への渡航経験は6回だけですが、踊りを始めてから、その旅はとても濃厚なものになってきました。
学生時代のヨーロッパへの最初の旅を除けば、踊りを始めてからの旅はすべて南方への旅。美しい褐色の肌の人々に出会える旅は、限りなく私に生命力を回復させてくれます。そして最近はますます、旅は南の「島」ばかりになってきました。
− 南、島、海、それらは私の旅と、人生での衝動のキーワードのようです。

[ 1998 - フランス(ニース、マントン、ディジョン、リヨン、パリ)、イギリス(ロンドン) ]
なんとこの間、10年間もまったく国外へ出ていなかったというのは、驚きです。
そして2003年からの旅はすべて、現地で踊りのレッスンを受けていたという事実。すべて、踊りがきっかけで呼ばれているようです。

[ 2003 - ハワイ(オアフ島、ハワイ島) ]
初めてのハワイは、フラの先生のウニキ(卒業の儀式)に参加するため。生徒の私たちは、ホノルルにつくなりワイキキビーチを見ることもなく、そのままカイルアエリアの大学構内の施設までバス移動。3泊ほどの滞在中は、お披露目のショーに向けて毎日リハーサルやレイ作り。まさにフラの儀式に捧げる滞在になりました。初めての本場でのフラの披露を終えると緊張も解け、やっとワイキキビーチを目にします。が、それも夜に一瞬通り過ぎるだけで、翌日からはハワイ島へ聖地めぐりの巡礼の旅(フアカイ)。ハワイ島の東の端から北上し、南西部へ下るというまさに島をぐるりと巡る旅でした。
第二のノルマ「フアカイ」を終えてやっと、約1日半だけのフリータイムはオアフ島へ。私は迷わず、ドルフィンスイムに出かけました。オアフの中でもほとんど地元民しかいないマカハ・ビーチへ、早朝から出かけました。午前中のドルフィンスイムでは、残念ながらイルカはかなり遠くを通り過ぎただけで近くではお目にかかれず。。。午後は、山へピクニックへつれていってくれました。神聖な滝がありました。

[ 2005 - エジプト(カイロ、ギザ、ルクソール、アレクサンドリア、シーワ) ]
ルクソール / 西岸の神殿にて
アレクサンドリア
大好きなベリーダンサーTamallyn Dallalが企画するSIWAのオアシスを訪れるツアーにどうしても参加したくて、旅を決意しました。実はエジプトへの旅が私の頭の中に映像化されてきたのは、当時師事していたダンサーMishaalのDVDを見てからなのです。彼女がGizaのピラミッド前で踊る姿はあまりにも印象的で、私のエネルギーは即座にピラミッドまで連れていかれたようです。
この時期、6月末〜7月頭は、毎年ベリーダンスのフェスティバルがGizaのホテル「Mena House Oberoi」で行われています。一応いくつかレッスンを取りましたが、オリエンタルな(エジプシャンの)ベリーダンスはひとつだけ。あとは、湾岸地方の民族系の踊り(khaleezy)や、なぜかインドのボリウッド(by Meera)のレッスンを取り。これらがとても新鮮で楽しかったのです。(エジプトの大御所ベリーダンサーのWSは退屈だった・・・)
シーワ・オアシス
そして、図らずも私が滞在させていただいたのはそのホテルまで歩けるほどの距離の現地滞在の方のスタジオ。部屋の窓からは、Gizaのピラミッドが見えていました。部屋の中には常に砂漠からの砂が吹き込んでおり、うっとするような熱い砂漠の風が印象的で忘れられません。スタジオにはエアコンはなく、大きな扇風機を回してくれていましたが、それが幸いでした。灼熱のルクソールから戻ってついに熱を出してしまったものの、体を冷やす冷房もなく、熱砂の空気の中ですべての熱を出し切り、一晩でなんとか体調も持ち直し、翌日からはSIWAオアシスへのツアーに出かけることができたのです。
シーワの砂漠にて
シーワ / ホテル
シーワ / ホテル
エジプトを思うと、とにかく最初に反応するのは、身体感覚。体の記憶があまりにも激烈です。そんな中でも、ルクソールは今回訪れた最も南で、日中は木陰でも45度はありました。もちろん、外出中に冷房はありません。ホテルでもほとんど冷房は入れませんでした。常に2リットルのミネラルウォーターを2つは持ち歩き。それでも、2日でルクソールの西岸と東岸のほぼすべてを回ったというのは、きっとものすごく行動的だったのでしょう。思い残すことのないほど歩き回りましたが、心残りは、さらに南方のアスワンまで足を伸ばせなかったことです。この時期アスワンは、日中50度とも噂されており。その気温にぜひともチャレンジしてみたかったのですが。
SIWAオアシスでの滞在は、すべてがミラクル。これを企画してくれたTamalynには本当に感謝です。そしてチャーミングなTamalynと1週間近くも共に旅ができたことは、本当に楽しい思い出です。砂漠での一夜(砂の上で眠りました)はもちろん、SIWAですばらしかったのは、滞在したホテル。ホテルといっても、古いShrineをそのままのこして宿泊施設にしたもので、敷地は本当に広大でした。電気もなく、深夜に到着してひとりずつ真っ暗な部屋に案内されたときは、どこか怪しい場所につれてこられたようで本当に大丈夫なのか?と半分泣きそうにさえなりました・・・。が、その後、キャンドルの光での屋外ディナータイムはすばらしく、現地の陽気なベドウィンやベルベル人たちと踊り明かした時間は、忘れられません。

[ 2005 - ハワイ(オアフ島、カウアイ島) ]
カウアイ島 / ナ・パリ・コースト
2年ぶりのハワイは、またもやフラの儀式のためです。今回は先生がついにフラの最高の位「クムフラ」になられる儀式に立会い。深夜に、海辺の断崖絶壁の場所(フラの聖地:ヘイアウ)で踊りつづけられる儀式は、本当にフラにつながっていてよかった、と思えるほど感動的でした。そして今回は初めて、私がもっともあこがれていた島、カウアイ島へ行けました。カウアイ島はハワイの中でも最も古い島。「Garden Island」と呼ばれるように、本当に緑が豊富でみずみずしく、そしてどこかのんびりとした空気と人々が、癒しの空気をかもし出していてとてもくつろげたのです。
カウアイ島 / ヒンドゥー寺院
カウアイ島 / ヒンドゥー寺院
興味深かったのは、なぜかヒンドゥー寺院が、カウアイ島にはあるのです。私が連れて行ってもらった日には残念ながらお寺の本堂の奥までは入れなかったのですが、特別な計らいで、広大な敷地をすべて巡ることができました。ヒンドゥーの神々たちの間に、南国ハワイのかぐわしい植物たちが咲いているのは、なぜか妙にマッチして、とても気に入りました。
そしてカウアイ島でたった半日のフリータイム、私はひとりでタクシーを呼んで、山のほうへ行ってみました。実はその前日に、このヒンドゥー寺院へ行く時間がなくなったために、どうしてもあきらめきれずにひとりで向かったのですが、中をひとり巡ってまた同じタクシーのお兄さんに迎えにきてもらったところ、私がフラを習っていると話すと、実はそのお兄さんのお母さんも「クムフラ」(フラのお師匠さん)だと。そして彼はタヒチアンのドラムをやっていると。とても親近感が沸いて話に花が咲くと、お兄さんは、「メーター止めるからこの先にある滝までつれていってあげるよ」と。その滝とは、あとで考えると、映画「ジュラシックパーク」でロケをされた場所なのだそうです。が、なぜか勘違いをした私は、車で途中に通った道すがらにあった川のほとりまできて、彼が言っているのはこの場所だと思い込み、さらにその先に滝があると言っているのが分からず、そこで引き返してしまいました・・・(残念、後悔・・・)。とても親切にしてくれた現地ハワイアンの方、後悔とともに思い出です・・・。
オアフ島 / 地元のフラダンサー
そしてオアフに戻り、また1日だけのフリータイム、またしても同じドルフィンスイムにチャレンジしました。今回は2003年よりももっとローカルな海岸から海に入り、「一緒に泳ぐ」とまではいえないまでも、ボートの下にある階段にしがみついて海の中にもぐっていると、本当に目の前をイルカたちが泳いでいくのを追いかけられるチャンスを得ました!でもこのときのイルカたちはとてもハイスピードで泳いでいて、一緒に遊んでくれなかったのが残念でしたが。その後は、魚や亀のたくさんいるあたりでスノーケリングを楽しみ。どこまでも澄んできれいな海水の中にプッカリと浮かんでいるのは、本当に気持ちの良い体験でした。

[ 2007 - フィリピン(パナイ島、セブ島、マクタン島、ボホール島) ]
パナイ島の世界遺産
ミアガオ・チャーチの前で
パナイ島の世界遺産
ミアガオ・チャーチ
とにかく「ハワイ」に気持ちが向かっていた自分が、まさかアジアを訪れるとは思ってもみなかったのですが、そのきっかけは、やはり「フラ」。この年の春にレッスンを受けた先生の踊りがあまりにもすばらしく、その感動が忘れられず、彼女の住むフィリピン・パナイ島までレッスンを受けるために、追いかけていきました。もちろん、旅の行程を調べ、セブ島の美しい海とボホール島のミラクルな光景が決め手だったとも言えるのですが!
パナイ島はセブ島などのようなリゾートのある観光地ではなく、本当に地味な学園都市です。が、少し外れのほうには世界遺産もあり、また1月には民族舞踊のお祭りもあり、現地感覚を楽しめる島です。「フィリピンは貧ししから、町の光景を見てショックを受けるよ」と言われていましたが、私はまったく逆。たしかに貧しい地域もありましたが、人々がそれでもとても美しく目に映り。土方で働いている人々も、汚れたTシャツで痩せたからだだけども、姿勢がシャキン!としっかりして、目力が強く、キリっとしている。それがとても美しくて、私は逆に感動しました。(マニラなど都市部ではなかったので、きっとみんな健康的だったのでしょう) 
ボホール島
世界最小の猿「ターシャ」
ボホール島
アメイジングなチョコレート・ヒル
セブ島(宿泊はリゾートのマクタン島)は、やはりリゾートとして観光地っぽい雰囲気ではありましたが、それでも人々がおおらかでSmilyで、彼らの笑顔にやられてしまいました・・・。が、海はやはり、すぐそばのボホール島のほうがずっと美しかったです。島全体がミラキュラスなのも、ボホール島。何よりも、「世界最小のサル」といわれるターシャの姿をガイドブックで目にして、この旅を決めたようなところがあります。それから、あのなんともいえない雰囲気のチョコレートヒル。ボホールでは贅沢をして、まる1日ガイドさんについていただきましたが、とっても親切で良い方でした。


[ 2008 - スリランカ(キャンディ、シーギリア、ダンブッラ、ニゴンボ) ]
シーギリア・レディ(壁画)
スリランカとの縁は、本当にミラクルです。何かに強く呼ばれ、本当に短期間のうちに、「いつか生涯のうちに訪れてみたい」という地にあっという間に立っている自分を今思い返すと、本当にクラクラしてしまいます。そしてその「呼んでくれたもの」のうちのひとつは、確実に、「シーギリアレディ」なのでした。そしてそれはまた、踊りととても強くつながっていて。
シーギリア・ロック
シーギリア・レディの前で
最初に私がシーギリアレディの写真を目にしたのは、友人たちと企画したヒーリングとダンスのイベントのフライヤーのための画像を探していたとき。「この地上のどこにでも現れそうな、普遍的な“女神”のイメージ」を探していたとき、その私のイメージにぴったりなのが、シーギリアレディでした。アジアのどこかの国だろうとは思っていたものの、それがスリランカの遺跡だとはまったく知りませんでした。この企画も第2回を迎える直前に、それがスリランカの遺跡に描かれた壁画だということを知り、そしてその遺跡が巨大な岩の遺跡だということも知りました。その風景を写真で見るともう、何かが私の中ではじけました。「きっといつかここを訪れる」という直感に捕らわれたのですが、実際にシーギリアを訪れたのは、なんとそれから1ヶ月以内のことなのでした。この1ヶ月の期間に何が起きたかといえば、以前から興味を持っていたスリランカ舞踊の公演の告知を知り、ふと思い出して体験レッスンに初めて訪れ、その日のうちにスリランカへのグループツアーに参加することを決めていました。すべては、「縁」です。そしてそのツアーのメインの目的は、現代のスリランカ舞踊(キャンディアンダンス)の家元・グルのダンス生活60周年記念式典だったのです。レッスンを始めてまだ1ヶ月もたたないうちにそういう貴重な機会に参加でき、さらに渡航前には約2週間の間にレッスンを詰め込み踊りへの情熱が増され。
シーギリア・ロック頂上付近
かつて踊りが奉納された場所
(上記写真の向かいに)
奉納舞を眺める王様の台座
シーギリアで最も感動的だったのは、巨大な岩の頂上まで登ると、そこに、古代に王様のために踊りを捧げていたという場所に降り立ったこと。四方を岩で囲まれ平地になったその土地は、ハワイの「ヘイアウ」(聖地:踊りを捧げるためにフラットになっている)とそっくりな形をしていました。思わず、まだ習ってもいない踊りのポーズを取ってみて。本当にシーギリアの地は、ものすごく懐かしいような空気を感じさせられたのでした。
旅から帰ってしばらくして、思わぬ仮説を読みました。「シーギリアレディとは誰か?」というテーマがあるようですが(王様に仕える侍女たちとも、お妃たちとも、あるいは架空の女神たちとも言われ)、ある研究者が、「シーギリアレディは、当時この地で信仰されていた大乗仏教の菩薩、ターラーである」と唱えているらしいのです。! 思わず目から鱗でした。確かにひと目見て惚れ込んでしまうグラマラスな体と、なんともいえない魅惑的な表情は、菩薩のそれにふさわしい。ターラーの大好きな私は、この説がとても気に入りました。そして、スリランカといえば上座部仏教、と思いがちですが、古代には大乗仏教も伝わっていたのだという事実は新鮮でした。そして何よりも私の中では、「ターラーダンス」から始まった私の踊りとの縁が、ぐるりと廻って(チベットの高地から南方系を廻って)、他のどこよりも魅力的なこのスリランカの地で、ターラーに引き寄せられてまた踊りを授かっている、という縁に、クラクラとしてしまいます。そう思うとやはり、このシーギリアレディは私にとって、「地上のどこにでも現れる、普遍的な、女性性と女神性を表象する存在」に他ならないのです。
漁村ニゴンボの海
キャンディ湖から望む仏歯寺
今回の旅は、主に内陸部の世界遺産都市キャンディでの滞在。もともと海が大好きな私は、1週間も内陸部でシビレを切らさないだろうか?と思っていたものの、あの美しい湖の廻りにたたずむ穏やかなキャンディは、ひと目見たときから(実は渡航前から)とても懐かしい感覚を呼び覚まされ、どこへ旅をしても、最後にこの地に戻ってきたくなる、そんな故郷のような地に思えました。それはもちろん、毎日早朝から仏歯寺に足を運ぶ人々の信仰深さと、そこから醸し出されるなんとも穏やかな空気がたまらなく好きだからです。